日本ロマンチスト協会

Scroll

JOURNAL

読み物

あの日の「右! もっと右!」は、どこへ行った? ——スイカ割りが映す、現代人の「脱ロマン」

ある日、テレビで「海開き」のニュースを見ながら思った。
「最近、スイカ割りをする人自体を見なくなった気がする」

スイカ割りといえば、青春の一つの象徴。みんなが一度は経験するであろうキャッキャウフフ(死後)な、象徴的なイベント。これはロマンチスト協会として、もう少し深掘りしたい。我々はただちに調査に乗り出した。

というわけで今回は、全国の40〜69歳の男女300人を対象に、緊急アンケートを実施。「スイカ割り」という夏の風物詩に、今どれだけロマンが残っているのかを調べてみました(2026年7月14日、Freeasy実施/日本ロマンチスト協会調べ)。

Q1.あなたが最後にスイカ割りをしたのはいつですか?

最も多かったのは「小学生の頃」で46.3%。中学・高校まで合わせると、子供時代の経験者は実に53%にのぼります。人生でスイカ割りをした記憶のピークは、圧倒的に子供時代にあるようです。

ただし、ここで見過ごせない数字がもうひとつ。「あてはまるものはない」、つまりスイカ割りをした記憶が一度もない人が24.3%。

……4人に1人。
夏の風物詩と呼ぶわりには、経験者は意外と限られているのかもしれません。

そもそも、私たちは海に行かなくなった

この結果を受けて、当協会はその背景を考察してみました。これは、もしかすると「スイカ割りだけ」の話ではないのかもしれません。

まず、スイカ割りの主戦場である海水浴そのものから、人が離れています。

海水浴客数は1985年のピーク時、全国で約3790万人。それが2024年には約440万人。実に9割減です。「海に行く発想がない」と答えた人が24%、「この1年で一度も海を訪れていない」人は52%——5年前の1.6倍に増えていました。

海に行かなければ、スイカは割れない。当たり前のようで、見落としがちな話です。

一方で、舞台そのものの砂浜が物理的に痩せつつあるという事実も。上流に建設されたダムなどによって土砂の流下が遮られることで河川から海への土砂供給が減り、砂浜の後退が進んでいるのは、海岸工学の分野で実証されています。神奈川県の茅ヶ崎海岸では50年で汀線が50m後退しました。また、国土交通省の資料では、全国の砂浜は1978年以降の約15年間で約2400ha、当時の砂浜面積の約13%が失われたとされています。

政府資料では、2100年までに現在の砂浜の6割以上が失われうるという試算も出ています。この算出方法には専門家の間で異論もありますが、砂浜が細っているという方向性自体は複数の調査で一致しているようです。

そしてもうひとつ。仮に海に行けたとしても、そもそも「大玉のスイカを1玉まるごと買う」という行為自体が、家庭から遠のいているのではないでしょうか。

実際に2人以上世帯の年間スイカ購入量は、2001年の6.8kgから2023年には2.9kgへと、半分以下に。背景には、世帯人数の減少(1980年の3.22人から2020年には2.21人へ)や、手軽なカットフルーツ市場の拡大(この10年で市場規模2.2倍)による影響が考えられます。アンケートの自由回答にも「物価高で西瓜も安くないから」という声がありました。

海がある。人がいる。まるごと1玉のスイカがある。——スイカ割りが成立するための3つの条件が、静かに、同時に、失われつつあるのかもしれません。

スイカ割りを次の世代に体験させたいですか?

7割以上がスイカ割りを次の世代に体験「させたい」と回答。理由を見ると、「楽しい」「夏の思い出になる」「世代間の交流に繋がる」「みんなで楽しめる」と、素直にポジティブな声が並びます。

一方、「させたくない」側の理由は、ほぼ一色でした。
「もったいない」「食べ物を粗末にする」「フードロス」「不衛生」——。

これは、正直、わかる気がします。スイカも安くはない時代です。きれいに割れず、無駄になってしまう瞬間を見たことがある人も多いでしょう。食べ物を大切に、という感覚を、協会として否定するつもりはまったくありません。

でも。それでも。スイカ割りは、ロマンティックなはずなのです。

割れた瞬間より先に、思い出していたもの

スイカ割りに秘められたロマンティックを探るため、「スイカ割りの思い出として、記憶に残っているものをすべてお選びください」とも尋ねてみました。

回答の上位に来たのは、「目隠しをして歩いたときの不安やわくわく感」(29%)、「割れたスイカをみんなで分け合って食べたこと」(25%)、「海、庭、キャンプ場など、その場所の空気」(24.3%)。

すべて、うなずける結果です。スイカ割りの記憶として残るのは、結果そのものよりも、その場の空気やみんなで一緒にスイカを味わった時間だったようです。

さらに、こんな小さな恋の記憶もありました。

「好きな人に『右! もっと右!』と一生懸命声援を送ったこと」(5.3%)
「目隠しで不安そうな相手の手を引いて、支えたこと・支えられたドキドキ感」(1.7%)
「わざと違う方向を教えて、好きな人をからかったこと」(2%)

パーセンテージだけ見れば、明らかに少数派です。大多数の記憶を占めているわけではありません。

でも、ゼロではない。

考えてみてください。目隠しをして、棒を持って、心もとない足取りで前に進む人。その人に向かって、必死に「右! 右だってば!」と叫ぶ誰か。あるいは、そっと手を引いて支えてあげる誰か。あるいは、ちょっとだけ違う方向を教えて笑う誰か。

これは、恋愛のかなり原始的な——でも、確実にロマンティックな——一場面ではないでしょうか。夜空に願いを書くのとはまた違う、もっと不器用で、もっと身体的な、恋の入り口。

かつてスイカ割りは、夏の浜辺で、家族や仲間と一玉を囲む、季節限定のロマンティックでした。

その浜辺が痩せ、食卓からまるごとのスイカが消えていく今、目隠しをした誰かに向かって送られていた、あの小さな恋の合図——「右! もっと右!」——は、生息地ごと、静かに失われようとしているのかもしれません。

私たちはこれを、『絶滅危惧ロマンティック』に認定します。種名は、「海でスイカ割りをする人」。生息数はごくわずか。ですが、絶滅はしていません。

もしかすると今の子どもたちの世代には、スイカ割りは「甘酸っぱい夏の記憶」というイメージすら、残らなくなっていくのかもしれません。

ちなみに私は、大学時代にサークルメンバーで海に行き、お酒を飲みながらスイカ割りをし、誰も割れずに目隠しなしで叩き割り、男たちで食べつくした思い出で終わっております。

結びに:今年の夏、一度くらい

スイカがもったいないから、と言われれば、その通りかもしれません。切って食べたほうが、確実に効率はいい。
ただ、効率だけでは残らないものも、たしかにあります。

目隠しをした誰かのために、大きな声で方向を教えてあげること。あるいは、その人の手をそっと引いてあげること。

今年の夏、一度くらい。コスパやタイパという名の効率を脇に置いて、誰かのために大きな声を出してみるのも、悪くないんじゃないでしょうか。

割れても、割れなくても、たぶんスイカは美味しい。

記事:研究員 柴田 英知

【調査概要】
調査名:スイカ割りに関する調査
調査対象:全国の40〜69歳の男⼥300⼈
調査⽅法:インターネット調査
調査時期:2026年7⽉14⽇
調査機関:Freeasy
調査主体:⽇本ロマンチスト協会
※本調査結果をご利用いただく際は、「日本ロマンチスト協会調べ」と明記ください。

【主な参考資料・出典】 2026年7月24日閲覧

※本記事は上記資料に加え、関連メディアの公開情報を対象としたデスクリサーチ(編集者調べ)に基づき作成しています。

一覧に戻る