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界隈ジャーナル│「新しいことに挑戦する精神」を奮い立たせてくれる「冒険家の日」

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あるとき、8月30日が「冒険家の日」だと知った。実は、私はこれまで仕事などで冒険家の方とお会いする機会が多く、冒険家を身近に感じていたが、こんな日がある事をそれまで知らなかった。

調べてみると、当協会が制定し日本記念日協会に認定された「ロマンスの日」のように記念日として登録されているわけでなく、この日に日本の冒険史に残る以下の3つの偉業が達成されたことに由来するようだ。

❶1965年
同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊が、アマゾン川源流の川下りに挑戦。3週間かけて見事に130km下ることに成功

❷1970年
日本を代表する冒険家・植村直己が標高6194メートルの北米最高峰マッキンリー(デナリ)単独登頂に成功し、世界五大陸最高峰の山々を制覇

❸1989年
海洋冒険家・堀江謙一が世界最小(全長わずか2.8メートル)の小型ヨット「ミニマーメイド号」で太平洋単独横断に成功し、サンフランシスコに到着

偶然の一致だと思うが、冒険家のロマンを感じる日なのである。

冒険家を突き動かす原動力

こういった偉業で知られる冒険家もいる一方で、多くは専業の冒険家ではなく別の職業を主な生業とし、冒険を行っているのが実情だ。しかし、専業か否かに関わらず、冒険家は名声や富のためではなく、ただ純粋に自分の情熱に従って未知の世界へ足を踏み入れているように思う。

未知の世界への探求心や自分との戦いから厳しい環境に身を置き、危険と隣り合わせになりながらも、そこに挑む。さまざまな葛藤も伴うが、根底には共通して以下のテーマがあり、それが彼らをロマンに掻き立てるのではないだろうか。

・未知への渇望
「地図の空白を埋めたい」「人類未踏の景色をこの目で見たい」という、純粋で圧倒的な探求心

・自己の限界との対話
苛酷な環境下で、自分自身の肉体的・精神的な限界にどこまで挑み、乗り越えられるかという自己との闘い

・自然の雄大さ
命の危険と隣り合わせだからこそ研ぎ澄まされる感覚や、畏怖の念を抱かせるほどの地球の美しさから、人間の存在の小ささに目覚めること

常に、死が隣り合わせにある世界。家族にとっては、理解しがたい面も少なくないと思うが、それを上回るほどの世界を見つけられた事は、ある意味幸せな事なのかも知れない。

没後30年経っても人生の指針を贈り続ける星野道夫

「ブリザードの氷原をゆくホッキョクグマ(ナヌーク)の親子 カナダ、ハドソン湾 撮影:星野道夫 ©Naoko Hoshino」株式会社 大丸松坂屋百貨店 2024年9月3日発表リリースより

数多くの冒険家がいる中で、今もなお多くの人を惹きつけてやまないのが、写真家の星野道夫だ。

彼は1996年8月8日、テレビ番組の取材で滞在していたロシアのカムチャツカ半島・クリル湖畔でヒグマに襲われ、43歳で急逝。今年、没後30年を迎えたが、六本木ミッドタウン内にあるフジフイルム スクエアでの企画写真展をはじめ、写真展が全国を巡回中だ。

巡回中の写真展「没後30年 星野道夫 悠久の時を旅する」は、8月末までの東大阪市民美術センターでの展示を経て、9月12日から2027年1月31日まで、岡山県にある高梁市成羽美術館にて開催されている。この写真展は2022年に東京都写真美術館など全国で開催したものだが、荘厳な自然や愛にあふれた動物の表情が魅力的で、ぜひご覧になることをオススメしたい。

さらに、2023年にNHKで放送された番組「アラスカの光と風 -星野道夫×大竹英洋 時を超える旅-」が8月に2回も再放送されるなど、その人気は全く衰えていない。

人々が彼に心惹かれる最大の理由は、その根底に流れる壮大なロマンにあるのだろう。その魅力は多岐にわたるが、大きく3つに分けて紹介したい。

❶ 「もうひとつの時間」の想像力が心を豊かに
彼の作品に一貫している、最大のテーマ。私たちが満員電車に揺られ、日々の仕事や人間関係に思い悩んでいるまさにこの瞬間にも、アラスカの海ではクジラが飛び跳ね、ツンドラをカリブーの群れが移動している。人間のちっぽけな日常とは全く無関係に、悠久の大自然の時間が流れる。この「もうひとつの時間」を想像することが、人間の心をどれほど豊かにし、救ってくれるかということを語り続けているのだ。

❷ 生命の連鎖と「死」の受容
極北の自然では、生と死が常に隣り合わせ。オオカミがカリブーを狩り、人間がその命をいただく。星野道夫は、残酷とも言える食物連鎖から目を背けず、むしろそこに圧倒的な美しさとロマンを見出した。命が命を支え、大地へと還っていくという冷徹な事実を、とても温かく、畏敬の念を持った眼差しで切り取り写真に遺している。

❸ 神話の世界と人間への回帰
晩年、被写体を動物そのものから、その大自然のなかで生きる人々(エスキモーやインディアン)へと広げた。トーテムポールやワタリガラスの神話といった、古代から受け継がれてきた精神世界に深く魅了され、「かつて人間と動物が同じ言葉を話していた時代」の痕跡を追い求める壮大なロマンへと向かっていたのだ。

既成概念にとらわれず自分の道を切り開く

「シシュマレフ村の子どもたちとともに 1973年 撮影:星野道夫 ©Naoko Hoshino」株式会社 大丸松坂屋百貨店 2024年9月3日発表リリースより

星野道夫の凄さは、自分が信じた道をまっすぐ突き進む行動力にある。その原点は、1968年の夏、16歳(慶應義塾高等学校2年)の時に移民船「アルゼンチナ丸」でロサンゼルスへ渡った、約2ヶ月間の一人旅だ。満足に英語が話せないながらも、アメリカ、カナダ、メキシコを訪れ、野宿やヒッチハイクも経験している。

本人は希望に燃え、アメリカを目指したと思う。しかし、この年はアメリカにとって激動の1年だった。キング牧師の暗殺 、ベトナム戦争(1955年から1975年)の泥沼化に伴うジョンソン大統領の退任表明、さらにロバート・ケネディの暗殺など、社会は大きく揺れ動いていた。

また、当時の日本の大学初任給は3万円台で、海外への外貨の持ち出しが500米ドル(現在の価値で4,800米ドル=約70万〜75万円相当)に制限されていた時代だ。アルバイトで少しずつ貯金をしていたが、最終的には彼の熱意にまけ父がカンパしてくれた。サラリーマンだった父にとって、決して少額ではなかったはずだ……

まだ、1米ドル360円の固定相場制。インターネットもなく、情報は雑誌や本から得るしかない時代。この旅の経験から海外への夢はさらに高まり、19歳のとき、古書店で出会ったアラスカの写真集に魅了される。そして、正確な住所がわからないままシシュマレフ村の村長宛に送った一通の手紙が、彼の人生とアラスカとの運命的な出会いの始まりだった。

奇跡的にも半年後に返事が届き、1973年、念願の「シシュマレフ村」でひと夏を過ごす。その後、アラスカ大学野生動物管理学部入学を経て、自らの手で家を建て、家族と共に極北の大地に深く根を張って暮らしていた。

野生動物や人々の暮らしを取材しながら、時代とともに変わりゆくアラスカを写真と文章で記録し続けた、世界的に活躍した写真家だったのだ。

勇気をくれる名著『旅をする木』

世界中で読み継がれている『旅をする木』(文藝春秋) 筆者の本棚に並ぶ、お守り的な単行本だ。読むときはカバーと帯を外し、大切に扱っている。現在は文春文庫(ほ 8-1)として入手可能。

星野は、16歳の旅や撮影の合間に書いたエッセイなどを『旅をする木』としてまとめ、1995年に出版した。韓国語、中国語簡体字、スペイン語にも翻訳され、2025年11月には英語版も発売。累計で約50万部が発行されている名著だ。

ここには、友人に向けて書かれた手紙のような、温かい温度感の文章が収録されている。語りかけるような優しい文体の中にも、厳しい環境における人々の営みや、自然の荘厳さが感じられるのが魅力。

目の前に広がる圧倒的な自然と、遠く離れた人間の営み。その両方を同時に愛すること。

私自身も、困難な状況に直面したときや人生の旅立ちのときに、何度もこの本に背中を押されてきた。

8月30日は世界的な偉業を成し遂げた冒険家たちの挑戦を称える日だが、星野道夫をはじめ冒険家たちは、さまざまな名著を残している。名著から冒険家たちの心に触れることで、日常に変化をもたらすことができるのではないだろうか。

研究員:佐々木倫子

【主な参考資料・出典】2026年8月21日閲覧

  • 「旅をする木」星野道夫(文藝春秋)
  • 「ノーザンライツ」」星野道夫(新潮社)
  • 「未完の巡礼 冒険者たちへのオマージュ」神長幹雄(山と渓谷社)

※本記事は上記資料に加え、関連メディアの公開情報を対象としたデスクリサーチ(編集者調べ)に基づき作成しています。