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界隈ジャーナル│乗るだけで、日常がロマンに変わる「ロマンスカー」──歴史ある名車で叶える、大人のワクワクと非日常のひととき

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突然の身近な乗り物となった「ロマンスカー」

1872年に新橋―横浜間で日本初の鉄道が開業したことにちなみ、10月14日は鉄道の日となっている。

私は時間があるとローカル線の旅に出かけているライトな乗り鉄なので、この日はワクワクする記念日の一つだ。今回、ローカル線に後ろ髪を引かれつつ、日本ロマンチスト協会と縁が深い「ロマンスカー」を紹介したい。

一般的に「ロマンスカー」は行楽のための乗り物と認知されていると思うが、数年前に渋谷から小田急線沿線に引越しして以来、私にとって「ロマンスカー」は違う意味合いを持つようになった。それまでは箱根や小田原、御殿場に遊びにいくときにワクワクしながら、時にビールとつまみを友に乗っていたものが、通勤時の混雑緩和や荷物が多い時の助け船となる非常に身近な乗り物へと変わったのだ。

実は引っ越す前の最寄り駅だった神泉駅(京王井の頭線)は、小田急線とは同じ会社だった時期があり、まさに合縁奇縁の巡り合わせだろう。

小田急・京王・京急・東急が一つの会社だった時代も

開業当時の小田急線新宿駅 画像:小田急電鉄会社小史・略年表より

ここで少し、井の頭線と小田急の関わりに触れたい。1933年8月に帝都電鉄が渋谷―井の頭公園間を開業し、1934年4月に吉祥寺駅まで延伸し、井の頭線が誕生した。

かつて小田急と井の頭線は同じグループだった縁で、1940年に小田原急行鉄道が帝都電鉄を吸収し、小田原急行鉄道帝都線となった。下北沢で小田急線の乗り換えがスムーズなのは、このためだ。

1941年に親会社の鬼怒川水力電気との合併により、小田急電鉄が誕生。その後、東京横浜電鉄社長の五島慶太に経営が託され、1942年、小田急電鉄、東京横浜電鉄、京浜電気鉄道が統合し、東京急行電鉄(大東急)となった。

戦後、五島慶太が公職を追放されると、1948年6月1日に京王帝都電鉄・小田急電鉄・京浜急行電鉄の3社が独立した。小田急電鉄は分離の際、箱根登山鉄道と東急系列の神奈川中央交通をグループに加え、江ノ島電鉄の株の一部を東急電鉄から譲り受ける。これが小田急が、箱根とつながっている所以だ。

その後、箱根では東急・小田急連合と西武による熾烈な開発競争「箱根山戦争」が20年ほど続いたが、1968年に和解。2015年の大涌谷噴火や2019年の台風などの災害時に両社が協力し、代替バスを運行するなど観光客の安全確保に努めた。現在は両社が連携し、外国人観光客の誘致や多様化する観光客ニーズに対応している。

狭軌最高速度の世界記録を持つ「ロマンスカー」

ロマンスカーミュージアムで見ることができる、初代ロマンスカーSE(3000形)〈1957〜1992年〉。
1957年に狭軌鉄道の世界最高速度記録(当時)を樹立した。画像:ロマンスカーミュージアムサイトより

ロマンスカーの原点は、戦前の1935年6月に新宿―小田原間を土曜日にノンストップ90分で運行した「週末温泉急行」にある。これは先鋭的な電車で、2人掛けのクロスシート(仕切りのない、並んで座れる座席)に加え、車内にはトイレがついていた。

ちょうど、昭和恐慌を乗り越え、少しずつ人々の生活にゆとりが生まれ、都市部のサラリーマンを中心に『週末は温泉へ』という余暇ブームが到来した時期と重なる。

その後は、戦争で中断を余儀なくされたが、1948年10月に「週末温泉特急」として運行を再開。同時期に、新宿―小田原間を60分で結ぶ目標を打ち出した。翌1949年には、初の特急用車両1910形が登場。この当時、映画館や喫茶店などにあるふたり掛け横並びの座席「ロマンスシート」が流行っていた影響から「ロマンスカー」の名が一般に浸透し始めたようだ。

1950年8月には新宿―箱根湯本の直通運転が開始。さらに、1957年には新幹線の開発モデルにもなった高性能特急専用車両「SE(3000形)」が登場し、当時の狭軌鉄道世界最高速度145km/h を達成している。SEの開発には国鉄の鉄道技術研究所の支援があり、流線型デザインと空気抵抗の軽減や、風洞実験に基づいた先頭形状や車体設計が新幹線0系の基礎となった。

「少しでも、早く、快適に目的地へ」という技術者たちの熱いロマンが詰まった特急なのである。

「ロマンスカー」展望席で、気軽に非日常のトキメキを

ロマンスカーミュージアムで見ることができる画期的なNSE(3100形) 画像:ロマンスカーミュージアムサイトより

「ロマンスカー」の魅力は、なんといっても展望席だろう!

展望席が初めて登場したのは1963年のNSE(3100形)だ。1階が展望席で2階が運転席になっており、1999年まで運行した。この車両は、海老名駅前にある「ロマンスカーミュージアム」で見ることができる。

今、展望席があるのはGSE(70000形)のみ。前面窓に大型の1枚ガラスを使用し、先頭車両の荷棚を無くすことでよりダイナミックな眺望と開放的な空間を創出している。以前、私はどうしたらあの席に乗れるのかと思っていたが、実はネットで一か月前から予約ができるのだ。運がよいと当日でも、展望席の一番前の席が空いているなんてことまである。

会員登録不要な「e-Romancecar」や、利用頻度が高い方におすすめの「ロマンスカー@クラブ」が非常に便利だ。思い立ったらサクッと買えるのが魅力だろう。

私は使用頻度が高いので、「ロマンスカー@クラブ」を利用し、好きな座席を指定している。実際、何度か展望席の一番前などを堪能したことがあり、何度乗っても子供時代の気持ちがよみがえり、ワクワクが止まらない。一人、もしくは大切な人とトキメキを共有できる最高の空間だ。狙い目は、箱根よりも藤沢行きで、観光客が少ないため、当日であっても展望席を取れる可能性が高い。

筆者が体験したロマンスカー先頭からの眺め 画像右は「多摩川橋梁」を通過中のひとコマ

実は展望席は、追加料金なしでほかの座席と同じ料金(特急料金+所定の運賃)で乗車できる。混雑を避け、ゆったりとふたりだけの時間を満喫する、ロマンチックなデートを楽しむのも良し。

ロマンスの日と「ロマンスカー」がコラボしていた!

日本ロマンチスト協会とコラボしたウェディングフォト 画像:2021年6月10日発表プレスリリース PR TIMES より

さまざまな方々が尽力されロマンにあふれた「ロマンスカー」だが、実は日本ロマンチスト協会とコラボしている。それは、2021年の「ロマンスの日」(6月19日)に始めた、開館前や閉館後のロマンスカーミュージアム館内で貸切ウェディングフォトが撮影できる「Romancecar Photo Wedding」だ。このコラボをきっかけに、小田急では「Romancecar Photo Wedding」に加えて、ロマンス人前式プランを年間を通して提供している。

「ロマンスの日」は当協会が定めた記念日で、大切なパートナーとの非日常的な演出を楽しみ、ふたりの関係にトキメキを蘇らせようという日だ。日常の移動手段でもありながら、乗るだけでワクワクやトキメキを蘇らせてくれる「ロマンスカー」。

それはまさに、私たちが大切にしている「日常の中にあるロマン」を体現する存在。当協会も今年リブートし、進化を遂げている。ロマンスカーミュージアムも、今年で開業5周年を迎えた。

この記念すべきタイミングに小田急さんと再び、日常にトキメキを届けるようなワクワクする企画をご一緒できないかと密かに思い描いている。ロマンチストの妄想は、まだまだ止まらない。

研究員:佐々木倫子

【主な参考資料・出典】2026年10月6日閲覧

*歴代ロマンスカーの前で愛を誓う 『ロマンスカーフォトウェディング』がスタート

*歴代ロマンスカーの前で愛を誓う『ロマンスカーフォトウェディング』がスタート(プレスリリース)

*ロマンスカーミュージアム

*小田急グループ 会社小史・略年表

*小田急グループ ロマンスカー

*小田急の代名詞「ロマンスカー」の由来と歴代の勇姿(毎日新聞)

*栄一翁と須永伝蔵の時代に続いて ~知られざる「箱根山戦争」の歴史~ 【彰義隊の発起人・須永伝蔵シリーズ⑧】(戸谷八商店)

*小田急ロマンスカーと「新幹線誕生」の深い関係 「SE」来春開業のミュージアムへ”殿堂入り”(東洋経済オンライン)

*東急100年 第2章 第1節 第1項 「大東急」を解体、再編成へ

*[座談会]新宿・小田原・江ノ島 「小田急」開通80周年 生方良雄・老川慶喜・岡田 直・松信 裕(Web版 有鄰 第472号)

*京王井の頭線、なぜ小田急電鉄の路線にならなかったのか?(マイナビニュース)

*「ロマンスカー」なぜ小田急の“専売特許”に? 昔はたくさんあった他社のロマンスカーが消えたワケ(乗りものニュース)

※本記事は上記資料に加え、関連メディアの公開情報を対象としたデスクリサーチ(編集者調べ)に基づき作成しています。