恋する灯台は、「願いの灯台」になっていた。——11月1日「灯台の日」に、網走・能取岬灯台を訪ねて
11月1日は「灯台の日」です。
明治元(1868)年のこの日、神奈川県横須賀市で日本初の洋式灯台・観音埼灯台が起工されたことにちなみ、昭和24(1949)年に海上保安庁が「灯台記念日」と定めました。我々日本ロマンチスト協会にとっても、この日は少し特別な一日です。なにしろ我々は、全国の灯台を勝手に「恋の聖地」に認定して回ってきた側の人間なのですから。
当協会が運営してきた「恋する灯台プロジェクト」。2016年から全国の灯台を「恋する灯台」として認定し、灯台をデートスポットとして再発見してもらう取り組みを続けてきました。
ですが、正直に本音を言うと。
認定証をお渡しして、写真を撮って、「では、お幸せに」と帰ってくる。その後のことは、つい地元のみなさんにお任せしてしまいがちです。聖地担当として、これは少々無責任というものです。
そんな折、先月、北海道網走市の「あばしり七福神まつり」にお邪魔する機会がありました。七福神に扮した地元のみなさんが宝船で商店街を練り歩く、なんともめでたいお祭りです。今年は全国のご当地ちゃんぽんが集まる「ワールド・ちゃんぽん・クラシック」も同時開催で、当サイトでおなじみのちゃんぽん番長の顔も浮かびました。
福の神に見送られて、私は車で北へ向かいました。目指したのは、2019年に「恋する灯台」に認定した、能取岬灯台です。
第一部:流氷の岬に、ぽつんと立つ白と黒の灯台
能取岬灯台は、オホーツク海に突き出た能取岬の先端に立っています。初点灯は大正6(1917)年10月1日。北海道で現存する鉄筋コンクリート造の灯台としては、いちばん古いものだそうです。
白地に黒い横帯をまとった八角形の姿は、フランス人技師レオンス・ヴェルニーが手がけた灯台の影響を受けたとされています。昭和23(1948)年までは、灯台守が家族と一緒に、すぐそばの宿舎で暮らしていました。その後、2名による交代勤務体制を経て、昭和55(1980)年、完全無人化となります。
周囲は一面の牧草地です。夏の沖合にはクジラやイルカが回遊し、冬になると水平線が流氷で埋まります。流氷で船が出られない季節には、灯台の灯りも落とされるのだとか。海が凍って、灯台が一休みする……なんともロマンティックな話です。

2019年、「恋する灯台」に認定
我々がこの灯台を「恋する灯台」に認定したのは、令和元(2019)年9月27日(金) のことでした。
当時のフライヤーでは、灯台を起点に「ふたりで流氷を間近で体感しよう」「凍った湖の上でわかさぎを釣ろう」といったデートの過ごし方を提案しています。テントの中で釣りたてのわかさぎを天ぷらにすれば、ふたりの気持ちも熱々に……とも書いてあります。
書いたのは我々です。少し照れます。
私にとっては、初めて北海道の灯台を認定する仕事でした。だからこそ、あの日のことはよく覚えています。
何しろ、スケールが違います。牧草地のなかの道を、車でわーっと丘の上まで登っていく。すると、いきなり視界がひらけるのです。目の前いっぱいの大海原と、どこまでも青い空。そのど真ん中に、白と黒の灯台がすっと立っている。
しばらく、言葉が出ませんでした。灯台に圧倒される、という経験を、私はこの岬で初めてしたのだと思います。
第二部:岬の上に、鐘が鳴っていた
牧草地の一本道を抜けると、白と黒の灯台が見えてきます。灯台の姿は、認定したころと何も変わりません。
ところが、灯台の手前に、見覚えのないものが立っていました。
白い柱に吊られた、青銅色の鐘。その両脇には、白い棚がずらりと並び、ホタテ貝がびっしりと掛けられています。風が吹くたびに、貝どうしが触れ合ってかすかに鳴る。近づいてみると、そのひとつひとつに、手書きの文字が書き込まれていました。

「願いを叶える鐘」と「ホタテ貝の絵馬」。昨年12月に、網走のみなさんがこの岬に設置したものです。
とっても素敵な試みだ、と思いました。
あの日、私を圧倒したロマンティックな岬から、今度は自分の願いを水平線に向かって解き放つことができる。灯台が照らしてきた海の彼方へ、鐘の音と一緒に想いを送り出す。景色を「眺める場所」だった岬が、景色に「願いを託す場所」になっていたのです。
ホタテに書かれた、たくさんの願い
棚の前に立って、しばらく絵馬を読ませてもらいました。
一枚一枚に、それぞれの暮らしと、それぞれの願いがあります。日本語に混じって、英語や中国語で書かれたホタテもあります。そのひとつには、英語でこう書かれていました。
「Dear Japan, We’ve loved every second of it!」
読んだ瞬間、少し泣きそうになりました。

脇の白い箱には、まっさらなホタテ貝とペンが置かれています。1枚500円の無人販売です。電気も通っていない岬なので、売店も自動販売機もありません。それでも、料金はほとんどきちんと支払われ、いたずらもまずないそうです。願い事をしに来る人は、マナーもいい。ちょっと出来すぎた話ですが、本当のことだそうです。
聞けば、鐘が完成した昨年末は、わずか2週間ほどで300個近い絵馬が掛けられたのだとか。観光の閑散期、しかも雪の季節に、です。
もちろん、私も一枚書きました。
書いてみてわかったのですが、ホタテ貝は、正直ちょっと書きにくい。表面はでこぼこしていて、カーブもあって、ペン先が思うように進みません。
でも、それも含めて楽しいのです。オホーツクの風に吹かれながら、貝殻と格闘して願い事を書く。ちょっとしたアドベンチャーです。そして何より、その土地で獲れたホタテを絵馬にしてしまうという発想。どこかの真似ではない、網走にしかないオンリーワンの体験だと思いました。
鐘に刻まれた、1500年前の祈り
鐘をよく見ると、表面にレリーフが施されています。クジラとイルカ、ホタテの文様。背面には能取岬灯台。そして正面には、ひとりの女性像。

「モヨロのヴィーナス」です。
5〜6世紀ごろ、オホーツク沿岸には「オホーツク文化人」と呼ばれる海洋民族が暮らしていました。網走のモヨロ貝塚から出土した、クジラの牙でつくられた女性像は、人々の祈りを天に届けたシャーマンの姿だとする説もあります。
人の心を導いたヴィーナスと、海を行く船を導く灯台。この二つを重ねて、能取岬灯台を「旅人の願いを叶える場所」にした。鐘の横の看板には、そんな由来が記されていました。
なるほど、と唸りました。これは、網走でしか成立しない物語です。
最初は「恋人の鐘と鍵」だった
後日、網走市観光協会のみなさんに話を伺って、さらに驚きました。
最初に構想されていたのは、「恋人の鐘と鍵」だったというのです。
網走ではかつて、捕鯨船がクジラを揚げて帰港すると「ポー」と汽笛を鳴らし、家族や街の人たちが浜辺に集まったそうです。その汽笛を鐘で再現する。そして、船を港につなぐロープのかわりに、ふたりで南京錠をかけて絆を誓う。
我々が「恋する灯台」と呼んだ灯台で、地元のみなさんが本気で恋人たちのための仕掛けを考えてくれていた。聖地担当として、これほど嬉しいことはありません。
ところが、みなさんはその案をいったん手放します。道内外の「恋人の聖地」を見て回るうちに、南京錠は粗利がわずかで、電気も水道もない岬では続けにくいとわかったからです。
かわりに選んだのが、網走ならではのホタテ貝でした。貝は地元の企業が無償で提供し、洗浄や穴開けは障がい者施設の方々や市民が担っています。穴開けの技術は、北見工業大学で手ほどきを受けて身につけたそうです。結び目がほどけない紐を探すところから、全部手探りです。

鐘を一つ立てるまでにも、山ほどの苦労がありました。土地の持ち主の確認、国定公園ならではの許可、凍結深度まで考えた基礎工事。竣工式の直前には、暴風雪で木が倒れたそうです。
岬の上の鐘とホタテは、そうやって街じゅうの手で立てられたものでした。
「何もないのが良い」と言っていた人たちも
鐘を設置する前には、「能取岬は何もないところが良いのに」という声もあったそうです。
その気持ちは、我々にもよくわかります。何もない岬の潔さこそが、能取岬の魅力でもあるのですから。
それでも今回、鐘の音を聞いて思いました。岬の景色は、何ひとつ損なわれていません。広い空も、牧草地も、水平線も、灯台も、そのままです。ただ、そこに「願い事をする場所」がひとつ増えただけ。設置後の口コミやSNSでも、好意的な声が大半だそうです。
灯台から、街へ
岬から市街地に戻ると、JR網走駅や道の駅流氷街道網走の観光案内所に、灯台グッズのコーナーができていました。灯台やホタテ貝の絵馬、クジラを描いたステッカーや缶バッジ、Tシャツにポロシャツ。いちばん高価なポロシャツがよく売れているというのも、なんだか嬉しい話です。

街のお好み焼き店とカフェでは、灯台をモチーフにしたメニューの試作も始まっていると聞きました。灯台を見た人が街へ食べに行き、街で灯台を知った人が岬へ向かう。灯台が、街を巡る旅の起点になりつつあります。
思えば網走という街は、こういう「ここにしかないもの」の宝庫です。
流氷を仕込み水に使った、青い「流氷ドラフト」。そして、なぜか根付いている、ちゃんぽんの文化。遠く長崎で生まれたちゃんぽんが、オホーツクの港町で独自の進化を遂げているのですから、ロマンを感じずにはいられません。七福神まつりで全国のちゃんぽんが集まったのも、偶然ではない気がします。
灯台の鐘も、ホタテの絵馬も、そうした網走らしさの延長線上にある。街を歩いてみて、そう腑に落ちました。
第三部:「恋」が「願い」になった理由
ここで少し、真面目な話をさせてください。
我々が名付けたのは「恋する灯台」でした。網走のみなさんも、最初は恋人の鐘と鍵を考えてくれた。それが最後には「願いの灯台」になった。この変化を、我々はとても正しいと思っています。
恋は、ふたりのものです。願いは、誰のものでもあります。
ひとり旅の人も、家族連れも、愛犬と一緒の人も、海外から来た人も、地元の高校生も。誰もが鐘を鳴らせて、誰もがホタテに願いを書ける。実際、計画段階から「恋人向け」という言葉はあえて前面に出さず、それでも縁結びはそっと匂わせる方針だったそうです。恋は、願いの中にちゃんと残っている。その塩梅が、実に網走らしいと思うのです。
協会が提唱する「ロマンティック7」で見ても、能取岬にはいくつものロマンが重なっています。
- ロマンス(恋愛的ロマンティック):恋する灯台から受け継いだ、縁結びの気配。
- ノスタルジー(追憶的ロマンティック):捕鯨船の汽笛を待った浜辺の記憶と、家族で灯台を守った灯台守の暮らし。
- ファンタジー(幻想的ロマンティック):1500年前のシャーマンと現代の灯台を、同じ「導き手」として重ねる想像力。
灯台の仕事は、昔からずっと「誰かを無事に、行きたい場所へ導くこと」でした。だとすれば、人が灯台の前で願い事をしたくなるのは、ごく自然なことなのかもしれません。
そして、もうひとつ。
協会はかねてより「経済効果が高い地域おこし=ロマンス」と言い続けてきました。半分冗談だと思われがちですが、我々はわりと本気です。500円のホタテ貝の絵馬が、灯台を守る資金になる。貝を提供する企業、穴を開ける人、ポスターを貼る宿、灯台メニューを考える店。ひとつの鐘のまわりに、街じゅうの人の手が集まっている。能取岬は、それを静かに証明してくれました。
結びに:11月1日、ひとつだけ
認定は、ゴールではありませんでした。
我々が灯台に「恋する」という名前をつけたのは、きっかけにすぎません。そこから先、その灯台をどう愛し、どう育てるかを決めるのは、いつも地元のみなさんです。
網走のみなさんは、2年かけて土地の物語を掘り起こし、一度描いたアイデアを手放し、地主を探し、凍った大地に基礎を打ち、ひとつずつホタテに穴を開けてくれました。聖地担当としては、少し悔しく、それ以上に、とても誇らしいことです。
さて、11月1日は灯台の日です。
網走まで行ってください、とは言いません。遠いです。冬は、とても寒いです。
でも、もしお近くに灯台があるなら。大切な人と一緒に、ふらりと足を運んでみるのはどうでしょうか。
鐘がなくても、絵馬がなくても大丈夫です。白い塔を見上げて、心の中でひとつだけ、願い事をしてみる。100年以上、誰かを導き続けてきた光です。ひとつくらい、ついでに運んでくれるはずです。
そして、いつか流氷の季節に網走を訪れることがあったら。能取岬で鐘を鳴らして、ホタテに願いを書いてみてください。500円です。願いが叶うかどうかはわかりませんが、灯台と、網走のみなさんは確実に喜びます。
記事:研究員 柴田 英知
【主な参考資料・出典】2026年10月19日閲覧
※本記事は現地取材に加え、上記資料および関連メディアの公開情報を対象としたデスクリサーチ(編集者調べ)に基づき作成しています。