日本ロマンチスト協会

Scroll

JOURNAL

読み物

名前がつくと、人は安心する――サウナと『ととのう』の言語効果

  • フロンティア

数年前ならまだしも、ブームはもう十分に語られた。けれど、少し時間が経ったからこそ見えてくるものもある。

2024年にクロス・マーケティングが全国の20〜69歳を対象に行った調査では、サウナが好きだと答えた人は39.1%、利用頻度は「1年に1回未満」が38.1%で最多だった一方、「月に1回以上」利用する人も27.7%いた。熱狂のピークは過ぎても、サウナはすでに、ある程度社会に居着いた現象になっているように見える。

流行のさなかでは「なぜ人気なのか」「どこが気持ちいいのか」といった即時的な説明に引っぱられる。だが、熱狂が落ち着いた後に残るものは、案外別のところにある。

そのひとつが、言葉だ。

この記事では、サウナが流行ったという事実そのものではなく、「ととのう」という言葉がサウナブームにおいてどんな働きをしたのか、を考えたい。

「ととのう」は、どう広まっていったのか

「ととのう」は、2020年前後のサウナブームの中で突然生まれた言葉ではない。少なくとも2017年の『SAUNA SPA』には「今や多くのサウナ愛好家たちが自然と口にする言葉になった」と書かれており、この時点ですでに愛好家の間では通じる表現になっていた。

それが広い層に見えるかたちで前に出てきたのが、2019年のドラマ『サ道』だった。そして2021年、「ととのう」は新語・流行語大賞にノミネートされ、「サウナによる効果で『心身のバランスがとれた状態』を指す」と説明された。この頃になると、サウナに一切入ったことがない人でも知っている言葉になった。

まず愛好家のあいだで育ち、メディアを通じて可視化され、やがて一般にも通じる言葉になっていく。では、この言葉はサウナの何を、そこまでうまく言い当てていたのだろうか。

「ととのう」という語は、なぜこんなに安心感があるのか

「整う」という日本語には、もともと強い安心感がある。乱れたものが収まる。ばらついていたものがそろう。そこには危うさや過激さ、刺激中毒のようなニュアンスがほとんどない。

この語感は、サウナとの相性がよかった。

高温の場所に入り、冷たい水に浸かり、休む。その流れだけを切り取れば、サウナは少し極端な行為にも見える。けれど、その先にある状態が「ととのう」と呼ばれたことで、印象はずいぶん違うものになった。

もしこれが「キマる」「アガる」など、興奮や陶酔を思わせる語だったなら、サウナはもう少し尖ったものとして受け取られていたかもしれない。だが実際に広まったのは、静かで生活に引き寄せやすい「ととのう」だった。

しかも、この言葉が受け止めていた感覚は、決して一様ではない。前述の「サウナに関する調査」では、『サウナで「ととのう」とはどのような感覚か』という設問に、『無になれる』『身体が浮く感じ』『すっきりする』といった回答が挙がっていた。どれも少しずつ違う。けれど、ただ「気持ちいい」では言い足りない感覚でもある。

つまり「ととのう」は、サウナ後の説明しにくい感覚を一言で表現するだけでなく、その感覚をどう受け取ればよいかまで先回りして示していた。これは危ないものでも過激なものでもなく、乱れたものが収まっていく感じなのだと。

医学的評価は分かれているが、印象は先に整えられた

ここで一度、根本的なことを確認しておきたい。

サウナがどこまで健康に良いのかについては、専門家の間でも見解が一致しているわけではない。

たとえば、心臓血管外科医の渡邊剛氏は、「サウナ入浴では『血管内水分』が蒸発するため、血管の中はドロドロになる。心臓や血管に大きな負担をかけるリスクがある」と警鐘を鳴らす。新潟大学名誉教授で医学博士の岡田正彦氏も、近年の極端な高温サウナと冷水浴の組み合わせについて「私は反対です。危ないと思います」と懐疑的な立場を示している。

ただし岡田氏も、正式なフィンランド式サウナについては、血圧や心機能などに一定の改善を示す研究があることに触れている。サウナは「健康にいいのか、悪いのか」を一言で論じられるものでなく、条件や利用方法によって評価が変わるものらしい。

サウナは本来、単純に「体にいい・悪い」とは言えないものだとされている

それでも社会の側では、サウナはしだいに「なんとなく体によさそうなもの」として受け取られるようになっていった。「ととのう」という言葉が、複雑さをいったん脇に置き、第一印象を健やかさの側へ導く役割を果たしたのだ。

人は、名前のないものより、名前のあるものに安心する

人は、正体のはっきりしない感覚に少し弱い。うまく説明できないものは扱いにくいし、人に話すときにも落ち着かない。

けれど、そこに名前がつくと、感覚は急に輪郭を持ちはじめる。「ああ、あれはこういうものだったのか」と理解しやすくなり、他人にも渡しやすくなる。名前とは単なるラベルではなく、「これはこういうものとして受け取ってよい」という枠組みまで一緒に差し出すものだ。

「ととのう」がしたことも、まさにそれだった。

この言葉は、サウナ後の説明しにくい感覚に名前を与えると同時に、それを健やかなものとして受け取るための入口を用意した。名前がつくと、人は理解しやすくなる。理解しやすくなると、少し安心して近づけるようになる。

サウナに起きたことは、その静かな例のひとつだったのかもしれない。

記事:研究員 佐々木 康弘

※本記事は上記資料に加え、関連メディアの公開情報を対象としたデスクリサーチ(編集者調べ)に基づき作成しています。

一覧に戻る