日本ロマンチスト協会

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イシューレポート

師走に「ご自愛」を考える。自分の声に耳をすませる回復の技術。

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高熱が出たとき、「熱があるので休みます」は言いやすい。
でも「疲れているので休みます」とは言えないのはなぜだろう。

どちらも「体調不良」という事実は同じなのに、
「疲労」を理由にした瞬間、

「ここで頑張らないと迷惑かけるよね」とか
「忙しいときに休むなんて、責任感ないと思われそう」
とか

勤勉の呪いにまみれた罪悪感が、もれなくセットでついてくる。

こうして疲労を「気合いでなんとかする枠」に押し込みながら、
結局休まずに働いているのは私だけではないはずだ。

私たちは「疲労感」を隠ぺいしながら働いている

医学博士・片野秀樹氏が提唱する「休養学」では、このような行為を「マスキング(一時的に覆い隠すこと)」と呼んでいる。

罪悪感で身体の声をねじ伏せたり、コーヒーやエナジードリンクのカフェインで無理やり覚醒させる行為もマスキングにあたる。

しかし、 「疲労感」をごまかしているだけで、疲労そのものは蓄積されていく。
マスキングが常態化し「まだいける」と突っ走った結果、あとでどえらい反動がくる。

少し休んだ程度では回復できなくなり、やがて慢性的な病気や、うつ病、燃え尽き症候群など、長期的な治療を要する危険性もあるのだ。

「休んだはず」なのに、疲れている

疲れたから早く寝よう。そう思っても、スマホが休ませてくれない。通知が来れば反射的に返信してしまい、気づいたら頭だけがフル回転している。

休養学では、「寝る」「ゴロゴロする」といった“受動的な休み方”では十分な回復には至らず、“次に動くための活力”をチャージする休み方、いわば「攻めの休養」が提案されている。

回復の鍵を握るのは、意外にも「自分に軽い負荷をかけること」らしい。

例えば、軽い運動をする、新しい料理に挑戦するなど「自分で選んだ小さな負荷をかける」ことだ。一瞬は疲れるが、休息とセットで組み合わせることで回復力は2倍、3倍にも高まるという。

休養学が挙げる7つの休養モデルは以下のとおりである。

「休み方を設計する」は、無理ゲーかも?

休養学は、確かに理にかなっている。

しかし、「負荷と休息をセットでとりましょう」という提案は、正直──まとまった休みが取れない人にとっては、無理ゲーでは?とも思ってしまう。

仕事に加えて、子育て、介護、持病…さまざまな事情から「自分の時間なんて全くない」という人も多い。
私自身、「子どもが寝たら休憩しよう〜!」とか思いながら寝落ちし、夜中に泣き出した赤子を抱えながら、白目でミルクを作っている。

そんな状態で「あなたに合う休み方を考えましょう!」は、夏バテしている人に「あなたに合うスタミナ丼を一から開発しましょう」と言っているくらいキツい。

絶対に胃もたれする未来しか見えない。

小さな回復を生活の中に散りばめる

じゃあ、どうやって回復すればいいのか。

そこでヒントになりそうなのが、安達茉莉子氏によるエッセイ『私の生活改善運動』で語られる“生活改善運動”という考え方だ。

著者は、日々の中の「これでいいや」と思っていたことを一つずつ見直していく。たとえば、「割れたまま放置していた鏡をなんとかする」とか、「毎日使っているお皿を“本当に好きなもの”に変えてみる」とか。

洋服や家具、タオルやお茶、仕事の仕方や人づきあいに至るまで、さまざまな面で「なんとなく」や世間の評価で判断せず、“自分の快・不快を基準に、生活を好きなほうへ少しずつ動かすこと”だと説かれている。

大きな変化ではなく、

『これでいいや』で選ばないこと。『実は好きじゃない』を放置しないこと。
ひとりひとりの心の底に沈むものに目を向けることは、
そのひとを丸ごと尊重することである。 

こうした著者の考え方は、そのまま「活力チャージ」にも応用できる。

例えば、

・汚れたまま放置していたスニーカーを洗いたい
・全然使ってないアプリを成仏させたい
・家族の好みに合わせるのではなく、自分が食べたいものを作りたい

そんな心の声を、スマホの通知に消される前に拾ってあげる。  

まとまった休日がなくても、日々のスキマで“本当はこうしたかった”をひとつだけ叶えてみる。

それだけでも、内側からの小さな回復、いわば「インナーリカバリー」が生まれ、じわりと活力が広がっていく気がする。

自分の本音をマスキングしないために

編集部では、「休養学」のメソッドと、「生活改善運動」の考え方を組み合わせ、自分なりの回復法を考える会議をひらいた。その中で生まれたアイデアを紹介したい。

あなたの“回復のタネ”は、生活のどこに潜んでいるだろう。
ささやかだけど、ずっと気になっていたこと。ちょっとやってみたいこと。

休養メソッドに頼らなくても、自分の回復法は、自分の心が一番よくわかっているはずだ。
にもかかわらず疲れがとれないのは、自分の本音までマスキングしてしまっているからかもしれない。

だからこそ、この文章を読み終えたら、心の中でそっと聞いてみてほしい。「今、自分を喜ばせるとしたら、どんなことをしてあげたい?」

その小さな問いかけから、あなたの回復運動がはじまるのだ。

記事:研究員 大森千春

【主な参考資料・出典】 2025年12月8日閲覧

※本記事は上記資料に加え、関連メディアの公開情報を対象としたデスクリサーチ(編集部調べ)に基づき作成 しています。

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