愛を叫ばれた蕎麦畑は、
その後、どうなったか?
はい、立派な蕎麦畑に育っていました。
2010年1月22日、この日は、
歴史的な1日だった。
那覇空港に、3名の人物が降り立った。
福井県玄そば振興協議会会長 橋詰傳三氏
ふくいそば打ち愛好会 岡本幸廣氏
福井テレビ 石塚貴美彦氏
橋詰氏は、製粉業を営み、
越前のそば振興に尽力した第一人者。
昭和40年代、水稲農家に、蕎麦生産を説くため、
福井県内を歩き回り、今日の越前そばブランドを
作り上げた大人物。
岡本氏は、福井県で毎年行われ、
今年で14回目を数える
「全国素人そば打ち名人大会」の
第9代目チャンピオン。
石塚氏は、熱きメディアマンであり、
ロマンス宣教師でもある。
この3名が、名護のまちに、
そばの文化を伝承するため、現れたのだ。
正真正銘、名護市唯一の蕎麦畑。
元は何もなかった耕作放棄地に、夢のかけらが溢れている。
その歴史的偉業に興奮する石塚宣教師。
まずは、蕎麦の質を検分する橋詰会長。
橋詰会長によれば、福井の蕎麦畑では、
一反で70kgの蕎麦粉がとれるとのこと。
しかし、名護の蕎麦は、それよりも実の付き方がよく、
倍程度の生産ポテンシャルがあるのではないか、と太鼓判。
今回は残念ながら、この畑の蕎麦を収穫することはできず、
同じ沖縄の宮古島の高校生が栽培した
蕎麦粉をわけてもらい、蕎麦打ちをすることに。
さっそく、岡本名人が、沖縄の蕎麦粉で、
蕎麦を打とうとするが・・・。
↑これが、製粉された蕎麦粉。
しかし、この粉に触れた途端、
岡本名人と橋詰会長の顔が曇る。
蕎麦自体の粘着性が弱いかも、と。
これは、蕎麦の実の挽き方に問題があるという。
(蕎麦の実自体はとても良い実らしい)
岡本名人が蕎麦粉をこねる。
やはり、表情を曇らせる。
本来ならば、蕎麦8に対して、つなぎ2の
いわゆる二八蕎麦を目指したが、
蕎麦自体の粘着性が弱く、蕎麦6に対して、
強力粉4の配合で、蕎麦をこねる。
一方、福井の蕎麦は、
とても粘着性に優れ、二八の配合で申し分ない。
なるほど、蕎麦、奥が深い。
名人の動きには、ひとつの無駄もなく、
その所作は、とても美しかった。
蕎麦粉は、名人の手で魔法がかけられる。
さすが、そば打ち名人。
あっという間に、そばが出来上がる。
↑これが、名護で初めて誕生した、沖縄産日本そば。
ちなみに、おろし大根に花かつをのせ、
そばつゆをぶっかけるのが、越前おろしそば。
かつて、昭和天皇が福井を訪問した際、
大絶賛されたという、お墨付きだ。
まさに、歴史的な瞬間だ。
一同、感動の瞬間。
沖縄産のそば、十分おいしい。
このそばだけでも、これまで食べてきたそばの中でも、
かなりおいしい部類のそばだ。
そして、福井のそば粉で打ったそば。
↑微妙に、色合いも異なるがわかるだろうか。
そばの風味も豊かで、何よりしっかりとしたコシの強さ。
「生涯で最も美味しいそばを食べた」
(隠れたそば通、波房事務局長談)
そんな風に、感動に包まれた初日。
名護の日本そば、まだまだ改良の余地はあるが、
我部祖河スタープロジェクトのメンバーが、
この事業はいける!と確信した瞬間だった。
明日は市民を招いてのそば打ち交流会。
市民に愛される味になるかどうかを市民に問うのだ。
夕方からは、石塚宣教師による、
どうやったらメディアは取材してくれるのか、
「メディアが積極的に取材したくなるコンテンツづくり」
と題して、メディアリテラシー講座。
一流のメディアマンからの講義が聞けるとは、
贅沢な講習であり、活発な議論が生まれた。
何もなかった土地から物語が生まれる。
人をつなげていくことで、
人を超え、地域を超え、分野を超え、
また人や文化が繋がっていく。
これぞ、ロマンス遠心力の法則。
名護のプロジェクトのメンバーは、
今まさに、歴史を作っている。
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