ロマンティックという言葉のもつ、創造性について考えてみる。
日本ロマンチスト協会では、
ロマンチスト=大切な人を世界で一番幸せにできる人、
そのように定義している。
ただ、日本ロマンチスト協会は、
友愛団体(秘密結社)ではあるが、
世界平和や地球環境保全を訴求するNPOではない。
別に、社会起業家でもない。
ソーシャルな大義のもと、集っている訳でもない。
"自分の女も幸せにできない奴が夢を語るな"
"一番の問題は、まず、君が何をするかだ"
"正しいか正しくないかよりも、カッコいいか、カッコ悪いか"
大切な人を世界で一番幸せにするために、
男は、粋で、カッコよく、そして、やさしくなければいけない。
女は、年を重ねるごとに、美しく、いい女でいなければいけない。
ロマンティックとは、美学である。
ロマンチストとは、生き方に美を求めるものであり、
愛に生きるものである。
愛とは、真・善・美、そのものであり、パッションである。
選択できる自由な時代だからこそ、
一方で、"価値"が混迷な時代だからこそ、
生き方は自分で決める。
その価値基準は、カッコいいか否か、
そんな風に生きたっていいじゃないか。
いま、我々、協会員に求められているのは、
その生き様がカッコいいか、
そこに潔さと覚悟、そして信念があるかどうかだ。
"後悔"というものは常に、
結果そのものに付きまとうのではなく、
それらを導きだした意思決定のプロセスそのものにある。
潔さと覚悟、そして信念のもとに意思決定を行い、
全力で向き合う、その時点で、その人は人生の勝者だ。
夢見ることを否定するものは、
自身の人生の創造性を否定することに他ならない。
大いに夢を抱こう、大いに夢を語ろう。
なぜなら、人の本気は、時代は創る。
そして、その本気で、愛に生きる。
ロマンチスト諸氏よ、愛に生きよ。
今こそ、愛にシフトせよ。
ロマンティックという生き方
2010年8月29日
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